kilk recordsを始めた話③ レーベル運営編

1回目で会社を始めるきっかけと登記までのこと、2回目で会社設立までの準備についての話をしてきました。
今回は実際にkilk recordsとして始まってからの話をします。

まずはこれまで出会ってきたバンドの中で、正当な評価を受けてないバンドをリリースしようと思い、最初は4バンドを所属アーティストということでスタートさせました。
ニュースにすらならなかったかな・・・それすら覚えてないくらいで、当時知っていたとしたらAureoleを好きな人が「Aureoleの人が自主レーベルを始めるんだ」くらいだったんじゃないかと思います。

スタートした2010年はまだCDがなんとか売れていた時代でした。
正直全くの無名の新人でもイニシャル(初回出荷枚数)で500枚オーバーは決して難しいことではなかったように思えます。

それでも立ち上げ前に予め計算して分かったことが。
仮に500枚売り上げたとしても、販売店、流通の取り分を抜いてうちに入ってくるのは定価の約半分。
2,200円なら1,100円くらい?なので約550,000円。プレス代が120,000円、アーティスト印税が約100,000円、広告宣伝に70,000円、送料や白盤(サンプル盤)の製作などで10,000円で利益は250,000円。。
これ、一ヶ月分の給料くらいにしかならないじゃないかと。

そうか、自分が心から良いと思う音楽(=今世間で決して売れてはいない音楽)をリリースすることってこんなに難しいことなのかと思いました。
でも自分が良い音楽を発信していくことはそもそもの理念。
そうなんです。kilkはホームページにも書いてありますが、「精神に溶け込む、人生を変えてしまうほどの音楽との出会いを人々に届けること」こそ重要なコンセプトです。
これを妥協せず生き残る方法。
一ヶ月25万円なら、毎月リリースしていくしかないなと。

結果それはうまくいきました。
実際には生活していくために行った毎月リリースという方法が、結果的に世間からは「リリースしまくってて勢いがあるレーベルだ」と認知されたのです。
まあそれに関してはラッキーですね。笑

それ以外に実行した作戦としては、素人が始めた趣味の延長のレーベルと舐められないように、洋楽をリリースすることです。
自分が元々ファンだったアーティストに対し、当時全盛期だったmyspaceから直接メッセージを送りました。
自分は英語がそんなにできないので、レーベルアーティストでもある英語が堪能なFerriにやり取りをお願いしました。
Ferriは他にも海外のデザイナーや取引先とのやり取りなど、kilkへの貢献度はかなり大きいです。

CDリリースの際の特集記事はまずOTOTOYにお願いしました。
Ferriと同じく、OTOTOYがなかったら今の自分はなかったかもしれません。
今でもそうですが、本当にいっぱい協力していただきました。

もはや常識かもしれませんが、ウェブ雑誌や雑誌のインタビュー等は基本有料です。
全部が全部ではありませんが、ほとんどがそうかと思います。
中には「この広告の◯◯円の枠を買うから、うちのアーティストをおたくの◯◯フェスに出してください。」的なのもやっぱりあります。
都市伝説じゃなかったです・・・笑
もちろん全部ではないですよ。

「1.コネ」「2.決定権のある主催者、担当者がその音楽を好き」「3.今勢いがあって集客が圧倒的な売れっ子」
多くのイベント出演者はこれのどれかに当てはまっていると言っても過言ではないでしょう。
別に2に関しては悪いことではないですよね。その1人が自分のバンドを気に入ってくれるかどうかで、そのバンドの明暗が大きく変わることっていっぱいあります。
仮に今まで出会ってきた担当者がたまたま全員圧倒的なAureoleファン、kilkファンだったら、また大きく運命は違っていただろうなとかたまに考えてます。
もちろんAureoleファン、kilkファンにはいっぱい助けていただいていますし、今でも最高に感謝の気持ちでいっぱいです。

敢えて極端に言いますが、売れていること=好きな人の数が多いことだと思うんです。
いや、もちろん多くの人に好きになってもらう時点で存在意義のある音楽なのでしょうし、当たり前だけど売れていることは悪いことではありません。
売れるために並大抵ではない努力をしている方も、素晴らしい才能を持っている方も当然いますし、個人的にももちろん売れてるバンドで好きな音楽はいっぱいあります。
ただ売れていない音楽でもそれはありますし、売れている音楽よりも劣っているというわけではないのです。
売れるかどうか=感動させるパワーを多く持っているかの指標というわけではないと思ってて、例えば決して売れているとは程遠いAureoleやkilkのバンドも、数は多くないけど強烈に支持してくれて、感動してくれているという方はいます。(自分で言うなよってかんじですみません)

ついでに音楽業界の内情を言うと、売れているバンドの方が売れていないバンドより暗黙の了解で優位に立っているという構図をいろんな場面で目にしてきましたが、それはとても嫌なかんじ・・・笑
まあ売れていると実際力を持つのでそれも仕方ないかもしれませんが、仲の良いミュージシャン達とは口癖のようにこう話していました。
「そういう奴こそ見返してやろう」と!笑
いやー、ほんとすごく舐めた態度の音楽家や業界関係者はたまにいるんですよ!笑
ただ僕よりも全然売れてるのに謙虚で人柄も素晴らしくて、音楽も良いものをやっている人だってもちろんいっぱいいます。
自分が連絡取っている近くて親しい方々は少なくともそんな方ばかりです。

話を少し戻すと、支持者ってすごく大事です。
そのバンドをサポートしてくれたり、次のステージに導いたりしてくれます。
熱烈なファンが、大きなフェスの主催者なら、そのバンドを出演させる可能性が高いでしょう。
熱烈なファンが、CM製作会社の決定権を持つ人なら、そのバンドの曲を採用する可能性が高いでしょう。
熱烈なファンが、タワーレコードのバイヤーさんなら、そのバンドのCDを大展開する可能性が高いでしょう。
熱烈なファンが、毎回ライブに来てくれて、その数が一人、二人と増えていくに従って、WWW、リキッドリーム、Zepp、武道館と会場のキャパを大きくしても埋めることができるでしょう。

自分のやっているバンドもレーベルもそんな人たちに支えられています。
真っ先に浮かぶのはファンの皆さん。
ファンの方がいなかったら挫折していたかもしれません。
本当にありがとうございます。

協力者にいかに出会うかというのはとても大事なことです。
OTOTOYさんはその一つ。
kilkを立ち上げてからすぐに連載の枠をいただきました。
こういうのですね。→https://ototoy.jp/feature/2014050805

「kilk records session」で10回、「新音楽時代」で9回。
この企画で多くの方に認知していただいた気がします。

いろいろな方との出会いがあり、サポートしていただいたからこそ今があります。

2010年に立ち上げてからしばらくはとにかくがむしゃらでした。
わけわからなくなってた部分もあります。
いや、今もかな・・・笑
でも自分がやる音楽、発信する音楽だけは絶対芯を崩さないように、本当に自分が最高だと思う音楽だけを送り出してきたことだけは今も全く変わっていないと断言できます。
むしろ最近は売れることへの執着は良い意味で薄れてきています。
とことん自分が良いと思える音楽への追求。
それこそが至福。何にも替え難い充実感を得られるし、心も健康でいられます。
死ぬまでにどれだけ売れるかより、どれだけすごい音楽を残せるか。今の自分は純粋にそこに興味があります。
もちろんそういう音楽だと思うからこそできるだけ多くの人に聞いてもらいたいという気持ちはありますが。

とりあえずkilkを始めた話はここまで。
2010年からだんだん年月と共にCDが売れなくなっていき、そこからヒソミネの立ち上げへと至っていきます。
kilkを運営していく中で感じたこと、嬉しかったこと、苦労したことなどいろいろあるので、また改めて別の機会に書こうと思っています。

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